『愛の勝利』は三幕の喜劇。
その面白さは、なんといっても、主役の女優が男装で“男役”をすること。 “男役”といっても、宝塚的な男役ではなく、登場人物的には女の役。女子が、恋する男子に近 づくため、事情があって男子の振りをするしかない。うまく男子として立ち回れるのか、変装は 見破られないのか、いつ女子であるとカミングアウトするのか(それやらないと恋の成就がな い)・・・そのあたりが、このお芝居の尽きせぬ魅力です。 男と女という性別二元論的秩序を壊そうとするものではありません。主人公はトランスジェンダ ーではないのです。ですが、そこに出現するのは明らかにジェンダーをやすやすとトランスする 主人公であり、“彼女”は、ある時は男子として、ある時は女子として振る舞うことで、男女二元 論をベースとした社会的・精神的秩序を大いに混乱させているということも否定できません。 “彼女”は、男子として、先ず、彼(愛の対象)の友情を獲得しようとすることから始め、それ にはあっけないほど簡単に成功します。彼は、あっという間に“彼女”に対し“特別な友情”を 抱いてしまう。それは、彼が“彼女”のうちに、すでに女性を感じ取ったからなのか?それとも、 そこにはむしろ同性愛的な要素を見てとるべきなのか?あるいは、“彼女”の“特別な”魅力とは、 ジェンダーをトランスするまさにそのことから生まれるのか?
舞台設定は古代ギリシャのスパルタ。主人公レオニードはスパルタの若き女王。アジスという青
年を見て、瞬時に恋に落ちた。さて、この恋路の障害として立ち塞がるのは二人の若者たちの因
縁・・・スパルタの王位は、レオニードの伯父から、その死後、レオニードの父へ、さらにその
死後、レオニードへと受け継がれた。ところが、その王位はもともとアジスの父から伯父が簒奪
したもの。正当な王位継承者は、レオニードではなくアジスの方。王子は赤ん坊の時に行方知れ
ずとなり、その後、哲学者エルモクラートと妹レオンティーヌに引き取られ、密かに育てられ教
育を施され、いまは立派な青年となっている。エルモクラートとレオンティーヌはもちろん王位
の奪還を狙って画策している。二人はレオニードの敵。愛するアジスもレオニードの敵である。
すでにエロスが政治と解きがたく絡み合うこの状況で、さらにエロス・レベルでも哲学者兄妹は
厄介な存在。彼ら二人にとって、愛とか恋とかは軽蔑すべきもの。人間の弱さと結びついたひた
すらネガティブなもの。当然アジスもそういう教育を受けている。アジスは政治的にレオニード
の敵であるばかりか、アジスは女というもの全体を憎んでいる・・・少なくとも、そう教育され
ている・・・
恋は諦められない。しかし、正面からアジスに近づくわけにはいかない。さあ、どうする、どう
する、というわけで、レオニードは男に変装し、名前もフォシオンと変えて、女従者(こちらも
男に変装)とともにエルモクラートの屋敷にやって来る・・・
『愛の勝利』はイタリア劇団のために書かれた芝居。1732年に初演されています。 劇団のメンバーひとり一人をイメージして登場人物がつくられていますが、主役のレオニード(フ ォシオン)はもちろんあのシルヴィアが演じました。シルヴィアはすでに『偽の女従者』で、男 装する女を演じ大成功を収めていました。タイムマシンがあったら、シルヴィアのフォシオン(レ オニード)をぜひとも見に行きたい。美しい男を演じ、魅力的な女を演じるだけではなく、男と 女の間をさまざまに揺れ動くジェンダーを、さらには男と女の両性具有を、名女優シルヴィアは 見事に演じて見せてくれたはずだから・・・
なお、『愛の勝利』は、英語脚色版ですが素晴らしい映画があり、DVD も出ています。監督クレ
ア・ペプロー。ミラ・ソルヴィーノ(フォシオン役)、フィオナ・ショー、ベン・キングズレーと
いう豪華メンバー。
第一幕の翻訳台本のPDFファイルが以下のリンクから見られます
第二幕の翻訳台本のPDFファイルが以下のリンクから見られます
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